
| 失敗の本質を見つめ直す──2冊の書籍からの学び |
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最近、失敗をテーマにした2冊の本を立て続けに読み、改めて感じたのは、「失敗の本質を見ようとしない構造こそが、再発を生む」ということでした。 今回は、『DX失敗学』(佐伯徹 著)と『失敗の科学』(マシュー・サイド 著)から見えてきた、失敗との向き合い方について整理してみます。 【DX失敗学が示す、原因を解く「7つのカギ」】最初に取り上げるのは、佐伯徹氏の『DX失敗学』です。著者は、DXの失敗にはDXに特有の事象があるわけではないとして、その原因を解くカギとして、次の7つを挙げています。 ① 失敗は確率現象である ② 失敗は放っておくと成長する ③ 途中変更が諸悪の根源になる ④ 失敗には階層がある ⑤ 失敗は予測できる ⑥ 失敗情報は、時間がたつと急激に減衰する ⑦ 失敗は隠れたがる そして、佐伯氏は「⑦失敗は隠れたがる」が、もっとも大きな原因と考えています。 この「⑦失敗は隠れたがる」に大きな原因があると捉えることに、私もまったく同感ですが、あえて言えば、主体は管理者あるいは経営者であり、「管理者は失敗の本質を直視しようとしない」ことに、一番の問題があると認識すべきと考えます。 【羽田空港事故報道から考えた"責任"の捉え方】以前、この「企業価値向上のヒント」で、シリーズ再発防止策あるある第4回(2019-08-02)に、「「犯人捜し」で満足して、真の原因を追究していない」というタイトルの記事を掲載しました。 これまで仕事柄たくさんの事務ミスやシステム運用障害の報告書をみてきましたが、まさに「あるある」で、原因を担当者の不注意で片付けているケースが多いのです。同シリーズ第8回(2019-08-19)では、「個人の過失に起因する原因をいくら掘り下げても、再発防止に結び付く有効な対策は出てこない」と一歩踏み込んだ意見を展開しました。しかしながら、その後起きた、昨年1月3日の羽田空港で日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突した事故の報道をきっかけに、ずっともやもやした気持ちが続いていました。 事故翌日、刑事事件を巡っては、警視庁が業務上過失致死傷容疑も視野に捜査を始めているとの報道もありましたが、通常、運輸安全委員会が行う調査は、あくまでも事故原因の究明が目的とあります。 一方で、交通事故の場合は、航空機事故と違って、過失があれば厳しく個人の責任が追及されます。同じように人命が関わり、再発防止が重要であるにも関わらず、事故に対する向き合い方に大きな違いがあるように思います。この差がどこから来るのか明快な答えを見いだせずにいました。 【失敗に対するアプローチが根本的に異なる航空業界】この点をさらに深く考えるうえで示唆的だったのが、マシュー・サイド氏の『失敗の科学』です。同書では、いずれも安全を最優先する二つの産業--医療と航空--を対比させ、両者の失敗に対する姿勢の違いを浮き彫りにしています。医療業界と航空業界とでは、失敗に対するアプローチが根本的に異なるのです。 医療業界では、ミスは「偶発的な事故」、「不測の事態」に捉えられ、医師は「最善を尽くしました」とひとこと言っておしまいなのに対し、航空業界は、失敗と誠実に向き合い、失敗を「データの山」と捉えます。航空機事故では、事故の調査結果を民事訴訟で証拠として採用することは法的に禁じられているということも驚きです。 失敗との向き合い方が異なれば、それがどのような結果をもたらすかは、「なぜ、航空業界は奇跡的に安全なのか?」(P18)以降に詳しく書かれています。医療業界と航空業界とでは置かれている状況が異なるので、数字の比較までは引用しませんが、事故率を驚異的に引き下げたことは疑いようのない事実です。 今回『失敗の科学』を読んで、あらためてかつて展開した持論はそれなりに正当性があると思うに至りました。 【個人に責任を負わせることが真に有効な解決策か】そんな思いとは裏腹に、個人に過度な責任を負わせる構造は至るところに見られます。たとえば、高速道路の逆走事故。間違えやすい入口が話題になることはあっても、抜本的な再発防止策が講じられたと報じられることはほとんどありません。道路管理者にとって、あるいは行政にとってドライバーに責任を負わせるのがもっとも安上がりと考えているというのは穿った見方でしょうか。 別の例は、アクセルとブレーキの踏み間違いによる悲惨な事故関連です。この十年近くの間に、メーカーの技術的対策もずいぶんと進みました。少し早いタイミングでしたが、安全装備がいくつか改善されていたので、私も思い切って車を買い替えることにしました。オプションの打合せをしているときに、ひとつ愕然としたことがあります。 踏み間違え防止装置はディーラー・オプションだと言うのです。加速を楽しみたい需要層に配慮してとのことですが、これもドライバーに責任を押し付けている例だと思います。 故意またはそれに近い重大な過失は別ですが、個人だけに責任を負わせる懲罰的な社会の仕組みが、事故防止という観点からみて果たして真に有効な解決策なのか、あらためて問いたいと思います。 【医療現場でも見られる報告を促す文化の力】『失敗の科学』はまた、医療現場の成功事例も紹介しています。同書が取り上げているのは、バージニア・メイソン病院の取り組み事例です。病院のカプランCEOは、患者の害になるミスを見つけたら、いつでも報告をするように医療スタッフを奨励することを始めました。最初は上手くいきませんでしたが、ある患者の死をきっかけに、ミスの報告は一気に増え始めたそうです。報告をしたスタッフは、明らかに自分が無謀なことをしたとき以外は、非難されるどころか褒められることに驚いたとあります。 同病院は、8年連続でアメリカの優秀病院の1つに選ばれており、報告システム導入以来、賠償責任保険の掛け金が最高で74%減額となったと紹介しています。 横道にそれますが、このリスクに応じて保険の掛け金で調整するやり方は、社会が抱える課題解決の重要なヒントを提供してくれていると思います。 【失敗原因マンダラ図と、責任追及の落とし穴】再び『DX失敗学』に戻ります。同書では、失敗の原因を「見える化」するために"失敗原因マンダラ図"という独自の手法を提示しています。失敗の原因を「個人」、「プロジェクト」、「組織」、「未知」に分類して、リストアップしていく方法です。 「個人」はさらに、「無知(知識不足、経験不足、引き継ぎ不良)」、「不注意(疲労・体調不良、注意不足)」、「誤判断(状況把握不足、誤った情報、誤った理解、狭い視野)」、「手順の不順守(手順無視、周知不足、想像力不足、形骸化)」と細分化されています。 個人の責任も求めていくということであれば、これでよいのかもしれませんが、『失敗の科学』でも触れられているとおり、誰かに責任をかぶせたほうが組織にとっては好都合です。議論はその方向に進みがちだということを常に念頭に置いて、このマンダラ図は利用すべきだと考えます。 『失敗の科学』は、人間工学の専門家シドニー・デッカーの言葉を引用して、次のようにも言っています。 「非難すると、相手はかえって責任を果たさなくなる可能性がある。ミスの報告を避け、状況の改善のために進んで意見を出すこともしなくなる。」 結語あらためて2冊を通して感じたのは、「失敗を責めるのではなく、学びに変える文化づくりこそが経営の責務である」ということです。経営者には、不当な非難を避け、ミスを率直に報告できる環境を整えつつ、組織としてのパフォーマンスを高めていく姿勢が求められます。失敗を恐れる組織から、失敗を活かす組織へ--その転換こそが、持続的な成長の鍵になると私は確信しています。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 2025-10-30 |